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あなたはマンガ家という職業にどんなイメージを抱いているだろうか? 夢がある。アシスタントと一緒に朝まで徹夜する。編集者が遅れた原稿を取り立てに来る――。確かに、それがふつうのマンガ家像だ。しかし、三田紀房は正反対の持論をしばしば展開する。「徹夜はしない。でも締め切りは守る」「マンガ家になったのはお金のため」「アイデアを得る努力をしない」。びっくりするかもしれないが、理由を聞けばきっと納得し、あなたの仕事や勉強にも役立つ話だと気が付くだろう。さっそく、三田流マンガ論をお聞かせしよう。




【三田流マンガ論 Vol.9】

・量をこなすために作画を外注する
・すばらしい手法はためらわずにパクる
・何より「マンガを描き続けること」にこだわる

マンガ家にとって一番大事なこと。
それは言うまでもなく、マンガを作って発表することだ。
野球選手は、試合に出てバッターボックスに立たなければヒットもホームランも打てない。
マンガ家だって、雑誌で連載を持たなければ読者に何も届けられないし、評価も得られない。
野球選手が一軍でバッターボックスに立ち続けたいと願うように、私は知名度の高い雑誌で描き続けたい。そのために何を優先させるか。マンガ家として、さまざまな場面で選択を迫られたとき、迷わない軸をもっておくことが大切だ。

例えば、『ヤングマガジン』で『砂の栄冠』の連載をしていたときに、『モーニング』で新しい連載をするチャンスが訪れた。週刊連載を2本同時に行うのはかなりハードだ。しかし、せっかくのチャンスを逃したくない。これまでも言ってきたように、私は徹夜をしないし(vol.4)、締め切りにも遅れない(vol.6)。無理なスケジュールを組んだり、アシスタントの数を増やしたりせずに、なんとか2本目の連載も同時にできないだろうかと考えた。

ちょうどそのころ、デジタルで作画を手伝ってくれる会社があると聞き、すぐに発注を決めた。『インベスターZ』は、1話目からずっと人物以外の背景や小物を外注し、デジタルで作画している。校舎や部室の様子、パソコン、ペットボトルなど、背景や小物はすべてその会社に任せ、自分で描くのは人物だけだ。そうすることでかなりの省力化が図れて、時間的なロスがなくなった。

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『インベスターZ』1巻1話完成原稿前

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『インベスターZ』1巻1話完成原稿

もちろん手描きにしかできない表現や良さがあるし、それゆえ、紙に描くことにこだわるマンガ家もいることは理解できる。私だって、『砂の栄冠』の甲子園での試合の臨場感や、『アルキメデスの大戦』の軍艦の迫力は、手描きじゃないと出せないと思っている。そういう意味では、『インベスターZ』は作画表現へのこだわりを多少犠牲にしても、ストーリーの強さでひっぱっていける内容だと判断したのだ。

デビューから25年以上経つベテランが、外注してまでデジタル化に対応する必要はないと言われるかもしれない。しかし、「新しい連載」という目の前のチャンスをつかむのが、私にとっての最優先事項だ。それを実現するのに適した手段があるのならば、デジタル化であれ何であれ、迷わずに使う。

こういうこともあった。
漫画ゴラクで『クロカン』の連載を始めたころ、新しく担当になった編集者から「読者アンケートで1位をとりましょう」「三田さんならできる」と強力に励まされ、当時同じ雑誌で圧倒的人気を誇っていた金融マンガ『ミナミの帝王』(原作・天王寺大、作画・郷力也)から表現を学び、パクったことがある(「Vol.2「どうせやるならトップを目指せ!」)。そのおかげで実際に『クロカン』はアンケートの1位を取ることができたし、単行本もヒットした。このときは読者から支持され、売れるマンガを作ることが最優先で、独自の表現へのこだわりなど、頭をかすめもしなかった。他のマンガ家からいいところをパクってでも、結果を出したかったのである。

「マネして申し訳ない」などと思う必要は全くない。実力があるマンガ家は、そんなことで怒るような狭量な人間ではないはずだ。むしろ自分の手法がマネされるのはそれがすばらしいからだとわかっていて、まんざら悪い気もしないと思う。相手が自分より若い作家であっても、見栄などはる必要はない。いいところをどんどん盗んで、自分のマンガに取り入れていけばいい。

マンガのオリジナル表現や凝った技法、手描きかどうか、カッコよく見られたいという見栄などは、私にとってたいしたことではない。
それよりも、マンガ連載を描き続けたい。

何かを得るためには、何かを捨てなければいけない。
「あきらめる」という言葉は、しばしば「自分が求めることへの思いを断ち切る」という意味で使われるが、もともとは仏教用語で「明らかにする」「つまびらかにする」こと。道理を見極め、納得したうえで一つの道を選ぶのが、「あきらめる」という言葉の本来の意味だという。
すべてはマンガのため――。その強い気持ちがあれば、周辺の些末なことはあきらめがつくものだ。

■三田流漫画論シリーズ

【vol.1 三田流マンガ論】成功するには、あえて「空席」を狙え!
【vol.2 三田流マンガ論】どうせやるならトップを目指せ!
【vol.3 三田流マンガ論】ベタな表現を恐れるな!
【vol.4 三田流マンガ論】徹夜は一切しない!
【Vol.5 三田流マンガ論】クリエイターは「凄い」人たちではない。ただ「やった」人間だ!
【vol.6 三田流マンガ論】私は、締め切りを絶対に破らない!
【vol.7 三田流マンガ論】ストーリーとは、「対立」とその「解決」である
【Vol.8 三田流マンガ論】アイデアは考え出すものじゃない
【Vol.9 三田流マンガ論】マンガを描き続けることが最優先。些末なこだわりは持たない

【Vol.10 三田流マンガ論】いい仕事したけりゃ、自己管理しろ!

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