設立4年目にして、ウェディング業界の話題をさらう風雲児。結婚式の常識をくつがえす自由でクリエイティブなサービスが支持され、急成長中のベンチャー企業、株式会社CRAZY。創設者の山川咲さんは、「自分の人生を生きること」の大切さに気付き、起業したという。人生の本質を問いかける、山川さんのインタビューを3回にわたってお送りする。
山川咲さん 株式会社CRAZY/CRAZY WEDDING創設者
「誰かのための人生」に
なっていないか
あなたは、自分の人生を生きていますか?
そんなの当たり前じゃんって思うかもしれないけど、意識していないだけで、自分以外のことを優先して生きている人って、実は結構多いと思います。
「僕はやりたくないけど、会社が決めたことだから」
「親が行けというから、進学校に行く」
「旦那が嫌がるから、働きたいけど専業主婦をしている」
もしこんなセリフをよく口にしているとしたら、あなたは「会社の人生」「親の人生」「旦那さんの人生」を生きているのであって、「自分の人生」を生きていることにならない。一度きりの人生を、自分の意思で生きないなんてもったいない。
なぜこんなことを言うかというと、まさに私自身、「人のための人生」から「私のための人生」に大きく舵を切った経験があるからです。
あ、自己紹介が遅れました。山川咲と言います。4年前に「CRAZY WEDDING」というウェディング事業を最初のブランド事業として、CRAZYを起業しました。
「CRAZY」という名の通り、私たちは“そこそこのレベル”では満足しません。常識をくつがえすほどの、突き抜けたサービスを信念としています。CRAZY WEDDINGのコンセプトは、「人生が変わるほどの結婚式」。プロデューサーとアートディレクターが何度も新郎新婦と会い、対話をして、2人がどんな人生を送ってきたのか、家族や友人に何を伝えたいのか、これからどういう家庭をつくりたいのかをつきつめて、式のコンセプトを考えます。
たとえば、真面目な自分がいやで、外へ外へと冒険に出かけた2人。そんな華やかな2人が辿り着いたのは意外にも夫婦や家族という、すぐそばにある幸せでした。コンセプトは「福ハ内」。400名ものゲストが集い、本格的な神前式から始まる結婚式では、見えそうで見えなかった幸せを表現するために障子や傘が飾られ、涙で始まる幸せの門出となりました。コンセプトでもある福ハ内の「内」は、2人であり、家族であり、冒険を共にした仲間だった――。そんなことに気づける結婚式を作りました。
また、「あなたがいない未来は想像もできない」というほど、互いの存在に未来を見出した2人。そんな「みらい」への想いと挑戦のつまった結婚式のコンセプトは、「きみはみらい」。未来に伸びる木を中心にした、360度見渡せるメインステージを作りました。2人は他の人とは違う未来を見て、この結婚式を作って来たということが伝わる内容となりました。
このように、おふたりに沿ったコンセプトを考え、実際の式で「そこまでやる?」と驚かれるほど、ディテールを追求するのがCRAZY WEDDINGの特徴です。
パッケージ化された“みんな同じ”の結婚式が多い日本で、ゼロから2人の特別な日を作り上げていくというCRAZY WEDDINGのスタイルは、大きな反響を呼びました。大々的に宣伝を打っているわけではないですが、口コミで評判が広がり、いまでは毎月約200件を超えるお問合せをいただいています。3人で起業したCRAZYのメンバーは、70人を越える規模になりました。
私は事業を通して、自分のやりたいことを貫いています。「このレベルじゃ満足できない」と思ったときはギャーギャー泣いて悔しがるし、意見が異なる相手とはとことん話し合う。湧き上がってくる気持ちをごまかさないし、妥協しない。
いまの私は、“自分の人生を生きている”と胸を張って言えます。
でも、子供のころ、そして会社員時代はそうじゃなかった。「周囲が求めていること」「やるべきこと」をいち早く察知して、期待に応えようと努力する人間だったんです。
特殊な環境で育ち
認められようとした子供時代
私がずっと周囲を気にして行動していたのは、かなり特殊な環境で育ったことが関係していると思います。私の父は東京でアナウンサーをしていたのですが、ある日突然、会社を辞めてワゴンで日本中を旅する生活を始めました。ある世界情勢についての報道番組で、自分が信じる価値観を貫くために会社と争い、「もっと人間らしい自然な生活をしたい」という気持ちがあふれ出した父は、理想の暮らしを求めて家族を連れてワゴンカーで旅に出ました。私が2歳のときのことでした。
それから2年弱の放浪の末に、私たち家族は千葉の片田舎のボロボロの一軒家に落ち着きました。父は畑で農業をし、ときどき東京に行ってアナウンサーの仕事をしてお金を稼いで帰ってくる。ふつうの家ではお父さんは毎日会社に行くのに、うちは違う。お父さんにはちゃんとした仕事がないのかな? と、不思議に思っていました。
私たち家族は、父が理想とする原始的なエコ生活を実践していました。薪ストーブで暖を取り、お風呂は外にある五右衛門風呂を沸かして入る。現代のようにスローライフなんて概念がない時代。子供には理解できないし、大変です。
小学校にも中学校にも、私と同じような生活を送っている人は他にいません。洗濯物に薪ストーブの匂いがついているとか、ファーストフード店に行ったことがないから友達と話が合わないとか、そのままではかなり“周りと違う子”になってしまう。クラスメイトや周囲の大人を観察し、浮いてしまわないように、受け入れてもらえるように、必死で努力を重ねました。
「がんばらないと、私ってヤバイ」。そんな強迫観念さえ、抱いていました。
だから、勉強もスポーツも学校行事もひたすら頑張る。そうやって結果を出し続け、行きたい高校に進学すると一気に理解者が増えました。特殊な環境で育ったことも含め、努力する私のことを「個性的」「すごいね」と言って、認めてくれる仲間ができたのです。
私は少しずつ自分らしさを取り戻し、人と違うことへの強迫観念は薄れていきました。
でもまだ、ここから“自分の人生”を見つけるには、時間がかかったのです。
*明日掲載の「人生イコール会社と信じて突っ走った20代」に続きます。
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山川 咲 (やまかわ・さき)
株式会社CRAZY / CRAZY WEDDING 創設者
大学卒業後、ベンチャーのコンサルティング会社へ入社。5年間の社会人生活にピリオドを打ち、退職後一人オーストラリアへ。帰国後、「意志をもって生きる人を増やしたい」との想いを実現すべく、業界で不可能と言われ続けたオリジナルウェディングブランド・CRAZY WEDDING を立ち上げ、たった1年で人気ブランドに成長させる。2016年には事業を退き、次のステージを志す。毎日放送「情熱大陸」に出演。著書『幸せをつくるシゴト』(講談社)
☆山川さんの著書
『幸せをつくるシゴト 完全オーダーメイドのウェディングビジネスを成功させた私の方法』の購入はこちら
☆CRAZY WEDDING のHPはこちら
*目次
*【前編】特殊な環境で育ち認められようとした子供時代
【中編】人生イコール会社と信じて突っ走った20代
【後編】いったん妥協したら人生は戻って来ない