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逆境だらけの仕事人生で得たこと

 人生には「プランB」が必要だと思っている。いま、あなたが進もうとしている将来の道が「プランA」だとしたら、もう1つのプランを具体的に用意しておくということだ。特にこれからは、いい大学に入って大企業に入れば一生安泰なんて考えないほうがいい。大企業が衰退していく時代に、老後まで会社が面倒を見てくれるなど、甘い幻想でしかなくなる。

 私の孫娘はバレエが大好きで、将来は宝塚歌劇団に入りたいと真剣に考えている。そのアイデアを聞いたとき、私は「宝塚の女優になれる確率」と、「女優になれたとして、平均的に何年間食べていけるのか」をまず調べなさいと言った。そのうえで、「人生は長いんだから、もう1つのプランを出しなさい」とも。彼女は素直に聞いて、いまは「プランB」を何のビジネスにするか、話し合っている。

 人は自分の将来を甘く見積もりがちだ。いま働いている企業、いま就いている仕事が10年、20年先に変わらずにあるかどうか、疑ってみることをなぜしないのか。いざ、仕事がなくなったときに「プランB」がないと、途方に暮れるだけで何もできない。私は孫娘にそんな思いをさせたくないので、あらかじめ戦略を立てるよう促している。これだけ長寿社会になり、老後の時間が長くなると、もしかしたらプランCまで必要かもしれない。

 1つの人生設計に盲目的にしがみつくな。

 時間軸を長く捉え、想像してみよう。

 あなたにはいくつもの可能性がある。

 インターネットの普及によって人々は膨大な情報にアクセスできるようになり、かつ移動手段も多様になった。どこに行って何をするか、昔よりはるかに多くの選択肢がある。辺境の地であっても、行けないところはほとんどない。選択肢が多いことは素晴らしいが、可能性が多くなったゆえに迷いも生じやすい。だからこそ、「仮説を立てる能力を磨く必要がある。

 プランBを持っておくというのも、仮説を立てる力のなせる業だ。行動する前に立ち止まり、情報を集めて仮説を立て、検証する。最初は難しいかもしれないが、このプロセスを繰り返していれば自然とできるようになっていく。

 あとは、高くジャンプする勇気を持てるかどうか。

 最後に少しだけ、私の若いころの話をさせていただこう。

 私はソニーで順調に出世を続けて社長になったわけではない。むしろ逆境だらけの会社員人生だったと思う。

 最初の逆境は、30歳を目前にして当時の役員と派手にぶつかったこと。当時、私が営業を担当していたオーディオ技術を海外の企業に売り渡すと役員が言うので、「そんなことしたら、ソニーが半身不随になる」と反論したんだ。私は、オーディオ技術はまだまだ会社に必要だと思っていたから、その気持ちを率直に伝えた。しかし生意気だと叱られたうえに、クビにするとまで言われてね。人事部長に事情を分かってもらえてクビにはならなかったが、パリに飛ばされることになった。

 半沢直樹のドラマでおなじみの「左遷」というわけだが、そのおかげで現地の合弁のベンチャー立ち上げに関わる機会に恵まれ、さらに日本とも、留学で知っていた英語圏の国々とも異なる文化に触れることができた。言語だけではなく、例えば法律に表れているその国のスピリットだとか、生活様式から見えてくる文化というものが、地域によっていかに違うかをビビッドに理解できた。現在、私はレノボグループや百度 (Baidu) といった海外の企業の取締役も務めているが、そのときの体験が国際的な仕事に生きていると思う。

 その後も、倉庫に左遷されたこともあった。しかし、そのときにロジスティックスの管理に使っていたコンピュータと出合い、ここで学んだことを生かしてコンパクトディスクの1号機を作ることができた。そうやってデジタル事業の経験を積んだことで、文系出身の人間には珍しく技術部門のトップを命じられた。これはチャンスである一方、門外漢の責務を負うという意味では逆境の1つだった。非常に苦労をしたが、ここで鍛えられたことで、経営者となる土台ができたのだと思う。

 私は、逆境を乗り越える度に貴重な財産を得てきた。語学力と国際感覚、ビジネスの立ち上げ方、技術の知識、マネジメントの手法。それらは与えられたのではなく、自分の手でつかんだものだと自信を持って言える。順風満帆な会社員生活では得られなかったことばかりだ。しかも、左遷だ、逆境だといっても、組織のために正しいと思ったことをはっきりと言ったがために起きたことだ。時には身を挺してでも、馬鹿だと言われても、自分の信念を守るために本気で戦う覚悟が必要だと思う。しょっちゅうそんなことをしていたら、本当に身を滅ぼしてしまうけどね(笑)。

 なぜそんなにタフなのか? これはもともとの性格なんだろう。面白い話がある。

 私は7歳のころ、満州で終戦を迎えた。戦勝国であるロシアからどんどん人が入って来る状況を、大人たちは不安げに眺めていた。そんな中、私は1人、ロシア語を勉強し始めた。周囲から「この子は変わっている」と言われたけど、気にしなかった。逆境であれ何であれ、置かれた状況で何とかするしかない。恐怖に脅えるばかりで何もしない大人たちへの反発心もあった。

 自分が置かれた状況を客観的に知り、適応すること。私が子供時代に直感した生き方が、これから12年間、とてつもない変化の時代にますます重要になるだろう。できるなら私も若者に戻って、激動の時代を生きてみたい。しかしいま、私にできるのは、これまで得てきた経験と知見の全てをあなたたちに伝えることだけだ。

 変化の時代を恐れることはない。勇気を持って進めば必ず多くを得られるし、チャンスは誰にでも平等にある。私は変化の行方をどこまで見届けられるか分からないが、あなたたちに明るい未来が広がっていることを信じている。

 1人でも多くの若者が、未来という大海原への航海を悠々と成し遂げること――。それが私の願いだ。

 

 

  • いでい・のぶゆき

    1937年生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、1960年ソニー入社。オーディオ、コンピューター、ホームビデオ事業の責任者を経て、1989年取締役、1994年常務。
    1995年社長兼COOに就任後、会長兼グループCEOなどを歴任。ソニー会長兼グループCEOを退任後、クオンタムリープ株式会社を設立。産業の活性化や新産業・新ビジネス創出を実現するための活動をグローバルに展開している。他にレノボグループ、百度 (Baidu) 、マネックス、フリービットで社外取締役などを務める

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