道塾に1人の男がやってきた。
TBSテレビで『さんまのスーパーからくりTV』『EXILE魂』など数々の人気バラエティ番組を手がけてきたプロデューサー・角田陽一郎さんだ。
角田さんは道塾に着くなり、「歴史を学ぶことには、事実を次々に“発見”していく面白さがあります。その時代の人々がどう動くかというストーリー展開を知るのも楽しい。世界史は、最高のバラエティなんです」と語り出した。
「ぜひ、道塾の優秀な生徒たちに、面白い世界史の見方を教えてあげたい!」
そんな角田さんの思いから、特別授業が敢行されることになった。
1回目は「商人の話」。インベスターZの読者にぴったりの話題をとりあげる。
▼プロデューサー・角田陽一郎の「世界史の特別授業」
2時間目・・・「民族の話」 民族や文化はしょせん 「ミックス」されたもの
3時間目・・・「産業の話」 技術革新や発明が 生活時間、行動範囲、芸術までも変化させた
世界史の未来はイスラムにかかっている
7世紀にユーラシア大陸の西アジアの乾燥地帯で、世界史の一大転機になる事態が起こりました。イスラム教の成立です。やがてイスラム帝国を形成し、ユーラシア大陸を東西に横断しながら、西アフリカ、イベリア半島から東の東南アジアまでに及ぶ大商業ネットワークを形成して、文明の東西交流が格段に進みます。
このイスラム帝国の設立理念は、ずばり「宗教」です。そしてその宗教=イスラム教が、当時極めて合理的で寛容的な最新の宗教であったことが、勢力拡大に有利に働きます。時代や地域によって、王朝が交代したり、並立することもありますが、寛容的であるがゆえに、イスラム教の主要な担い手をアラブ人、ペルシア人、トルコ人、モンゴル人、インド人等々と加えていきながら拡大していったのです。こうして、現代に続く世界史を彩るイスラム国家群が形成されました。
今や世界には約16億人のイスラム教徒がおり、数十年後にはキリスト教徒を抜き、世界一の宗教勢力になると言われています。現代の地域経済や国際社会、そして民族の対立や国家間紛争はそんなイスラム教への理解なくして解決することは到底できません。我々日本人は、世界史の中でもっとイスラム教を知る必要があるのです。
アラビア半島の騎馬遊牧民であるアラブ人は、古くから帝国内でウマとラクダを乗り回し商業を営んでいました。その商業の中心地・メッカで生まれた商人ムハンマドが、イスラム教の預言者となります。イスラム教は商人から生まれた宗教なのです。イスラムとは「神への帰依」という意味の言葉です。
約束事が具体的で明確である反面、状況に応じて解釈するのが難しい
40歳を過ぎて瞑想生活をしていたムハンマドはある日、大天使ガブリエル(ジブリール)から神アッラーの預言者であると告げられます。偶像崇拝を禁ずる一神教の最後にして最大の預言者となりました。〝最後にして最大〟というのがポイントです。ムハンマド以前にもイエスを始め預言者は何人もいましたが、彼らは神の言葉全てを聞いていません。一方、神の言葉を最後に漏らさずに聞いたのがムハンマドなのです。神の最後の言葉はアラビア語でした。ですので、コーランは他言語に翻訳されてしまったら、もはや神の言葉ではないのです。
イスラム教の信者=ムスリムには「六信五行」と言われる義務があります。六信とは、神・天使・啓(けい)典(てん)・預言者・来世・天命という六つの信じること。五行とは、信仰告白・礼拝・断食・喜捨・巡礼、の五つの行わなければいけないことです。これは現代のムスリムにも厳密に受け継がれています。
こう見ていくと、イスラム教は我々日本人にとって、戒律が厳しいイメージがあるかもしれません。でも、商人であるムハンマドにより形成されているため、一般市民に近い目線を持っていて、合理的な内容にもなっています。さらに、古い宗教で失敗した点を踏まえて成立しています。そのため、聖典であるコーランは、キリスト教の聖書よりはるかに細部に渡って細かく記述されていて、解釈が曖昧になるようなことがありません。「これを信じて、これを行えばいい」という風にハッキリしています。
ただし、逆に考えてしまうと、他宗教のように曖昧な部分をその時の時代状況に沿って都合よく解釈することが難しいのです。それが、現代の西欧文明由来の近代文明との軋轢の原因にもなっていることは否めません。
アルカイダや「IS」の行為はムハンマドの行為と共通する部分があった
ムハンマドはメッカにて布教を開始しますが、多神教信仰だったアラブ人たちから迫害を受け、622年にメディナに移住します。このメディナへの移住=ヒジュラの年が、イスラム暦の紀元元年というのがポイントです。彼は思ったのでしょう、「いつかメッカを奪還するぞ!」と。ムハンマドのその誓いとともに、イスラム暦は始まっているのです。
ちなみにイスラム暦は、月の満ち欠けに基づいて決められる太陰暦です。三日月はイスラム教の象徴です。西アジアの灼熱の砂漠では昼の太陽は忌まわしい存在で、涼しい夜に輝く月は時間と方向を教えてくれるありがたい存在だったからと言われています。
やがてムハンマドの活動は急速に勢力を伸ばし、630年にはメッカを無血占領します。そして今まで多神教の偶像が祀られていたカーバ神殿の偶像を破壊し、アラビア半島の遊牧民はアッラーという唯一神を崇拝することになるのです。メッカはそれ以降、イスラム教の最大の聖地になり、カーバ神殿は世界中のムスリムが1日に5回礼拝する方向の基点になり、またムスリムが一生に一度は訪れるべき巡礼の地になりました。
近年アフガニスタンの世界遺産バーミヤン遺跡がアルカイダに破壊され、また「IS」によって世界遺産のイラクのハトラ遺跡やシリアのパルミラ遺跡が破壊されました。世界は悲しみに包まれ、当然イスラム教徒内でも非難が叫ばれています。
しかし、彼らが信じるイスラム教の原理主義的な考え方では、かつてムハンマドが行った偶像破壊と同様な、正当な行為なのかもしれません。文化財を破壊する…、それは人類にとっての冒涜(ぼうとく)だと思います。でも実際、日本の明治時代には国家神道のため、廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)が行われ、多くの寺院で廃合や仏像の破壊が行われました。
彼らの行為は現代の我々が考える基準では非道だとしても、当事者にとっては正当性があるのかもしれません。そこで大事になるのは、彼らの主張まで考慮して打開点を探すこと。今後の世界状況では、より求められるスタンスなのです。
アラブ帝国からイスラム帝国へ。バグダードの『千夜一夜物語』
632年にムハンマドは急死します。その後イスラム教団は幹部の中から神の使徒であり、ムハンマドの後継者を意味するカリフを選び、また彼が語った神の言葉を『コーラン』としてまとめるのです。『コーラン』はその後のイスラム教徒たちの判断の基準、生活の拠り所になりました。
そしてカリフを先頭に、アラビア半島から外部へと大征服運動が開始され、東ローマ(ビザンツ)帝国や東のササン朝ペルシアへと向かい、その戦いはジハード(聖戦)と呼ばれました。東ローマ帝国からはシリアとエジプトを奪い、651年にはササン朝が滅びるとペルシア人もイスラム教域に入ります。
ムハンマドの意思を継ぐ正統カリフが4代続いた後、それ以後のカリフを正統と認めるスンニ派と、暗殺された4代目のカリフ・アリーとその子孫のみをムハンマドの後継者とみなす人たちがシーア派として分かれました。スンニ派の有力者ムアーウィアは権力を掌握してカリフになり、その後のカリフは自分の一族に世襲されるようにし、シリアのダマスクスを首都とするウマイヤ朝が成立しました。
そして被征服民にはジズヤと呼ばれる人頭税(じんとうぜい)とハラージュと呼ばれる地租(ちそ)を課し、アラブ人たちには高額の年金を払い人気を獲得します。大征服運動は再開され、西はアフリカ北岸から、ジブラルタル海峡を渡り、イベリア半島へ進出。一方、東は西北インドまでが新たな領域になり、これがアラブ帝国になったのです。
そんな中、ムハンマドの叔父の家系のアッバース家が、シーア派と非アラブ系被征服民の改宗者の支持を得て750年にウマイヤ朝を滅ぼし、アッバース朝を起こします。さらにペルシア人との提携関係を重視してバグダードに首都を新設(現在のイラク)。バグダードからは東西南北に幹線道路が延びて、各地との商業ネットワークが完成します。
ペルシア湾からインド洋へのダウという帆船による航路が開発されると、アフリカ東岸からインド洋、ベンガル湾、南シナ海、東シナ海がイスラム商業ネットワークに組み込まれます。こうしてバグダードは人口が150万人に達し、産業革命以前では世界最大となる都市にまで発展しました。最盛期である第5代カリフの時代には『千夜一夜物語』が誕生しています。以上を経て、アラブ人のための征服王朝であるアラブ帝国は、アラブ人以外のイスラム教徒も対等に扱うイスラム帝国に進化したのです。
この一連の動きは、アッバース革命と呼ばれています。普遍的な大帝国の成立には、域内の被支配民族への高圧的な支配より、むしろ寛容さが必要とされるのがポイントです。イスラム帝国内では税さえ収めれば、他宗教の人間も居住が認められました。迫害するより交易を進める方が合理的だからです。一方で、キリスト教圏ではユダヤ教徒は迫害されました。こんなところにも、イスラム教の寛容的で合理的な一面が見られます。
権力は皮肉なことに権力で滅ぼされる
やがて10世紀になると、アッバース朝内でシーア派の反乱が広がります。都市の豪華な生活に慣れ戦闘能力を減衰させたアラブ人たちは、中央アジアからやってきた戦闘的な遊牧民族・トルコ人を、マムルークと称する軍事奴隷として活用するようになりました。
ムスリムに改宗し軍事力を背景に力をつけたトルコ系セルジューク人のトゥグリル・ベクは、1038年にセルジューク朝を起こし、その後カリフからスルタンの称号を得ます。スルタンとはアラビア語で「支配者」という意味で、宗教面の指導者カリフと、政治面の指導者スルタンとで分け合う形をとったのです。
政教分離のため権力を分け合う行為、または統一するという行為が世界史では、西欧でも中国でも、各所で繰り返し見受けられます。日本の中世に、貴族の警護で雇っていた武士が、朝廷から征夷大将軍の称号をもらい幕府を開いて政治権力を握ったことも同様です。
人は軍事力で権力を握り、その権力のおかげで裕福になります。裕福な暮らしが続くと軍事力は減衰し、時代が下って子孫の代になると、軍事力が低下した分を軍事力を持つ代替者で補うようになります。やがてその代替者が、政治権力を取って代わって持つようになります。
まさに権力を持つものの力の強弱により、世界史は変遷するのです!
「権力を持つと、その権力ゆえにやがて権力が奪われる」。この歴史のダイナミズムと宿命を理解することが、世界史を学ぶ醍醐味なのです。
これって、あなたの職場や身近な社会でも、見られる光景じゃありませんか…
■終わりに
角田さんによる、歴史の授業をお楽しみ頂けただろうか?
高校時代、世界史・日本史の授業が退屈でよく居眠りしていた読者もいるかもしれない。
しかし、今回の授業はワクワクして思わず読み進めてしまうような知的好奇心を刺激する内容だったはずだ!そう、勉強とは本来楽しいものなのだ!
道塾学園の「最強授業」で是非、大人の勉強を堪能して欲しい。
☆次回の授業も角田さんが先生となり、お話します!次回は3月上旬掲載予定です。
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角田 陽一郎 (かくた よういちろう)
1970年生まれ
TBSテレビメディアビジネス局所属。東京大学卒業後、TBSに入社。
プロデューサーとして「さんまのスーパーからくりTV」「中居正広の金曜日のスマたちへ」「EXILE魂」など、主にバラエティ番組の企画制作をしながら、映画『げんげ』監督などを務める。主な著書に『成功の神はネガティブな狩人に降臨する』など
■この授業は、角田さんの新著『「24のキーワード」でまるわかり!最速で身につく世界史』で全文が読めます!
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