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2017/01/16

【対談:三田紀房×荒木大輔(中編)】82’ 早実vs.池田の歴史的試合を荒木氏が振り返る!「池田高校は別格だった」荒木氏が語る池田の強さとは!?

1982年、夏の甲子園準々決勝。優勝候補だった早稲田実業は、畠山準(元・南海ホークス)、水野雄二(読売ジャイアンツ)らを擁し、【やまびこ打線】といわれた強力打線を誇る徳島・池田高校と対戦し、2対14の大敗を喫した。当時の池田高校は、野球の練習環境も選手の体格も”超高校級”だった。私たちの知らなかった、「池田の強さの秘密」が荒木氏によって語られる。

三田紀房×荒木大輔 対談シリーズ「甲子園のアイドルの真実」

1980年夏、4試合連続完封の離れ業を演じ、その端正なルックスから、
文字通りアイドルに祭り上げられ、大ちゃんフィーバーという、
おそらく高校野球史上最大の社会現象を巻き起こした球児、
荒木大輔氏と、『砂の栄冠』や『クロカン』など甲子園を
題材とした漫画を手がけてきた三田紀房の対談シリーズ。

前編 人生は「運」で決まる!荒木大輔に学ぶ、幸運を掴む秘訣とは?
中編 82’ 早実vs.池田の歴史的試合を荒木氏が振り返る!
後編 未来ある高校球児のために大人たちが考えるべきことは・・・


  • 荒木大輔

    1964年5月6日生まれ、東京都出身。早稲田実業在籍時、一年生の夏の甲子園、決勝戦で横浜高校に敗れるまで、4試合連続完封勝利を上げ、一躍、甲子園のアイドルに。2年時、3年時も春夏連続で甲子園出場。82年秋、ドラフト1位指名を受けヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)に入団。1995年に横浜ベイスターズ(現・横浜DNAベイスターズ)へ移籍、翌1996年現役引退。西武ライオンズ、東京ヤクルトスワローズのコーチ業を経て、現在は野球解説者として活躍中。

三田 今年のセンバツは感動しました。池田高校(徳島)が久しぶりに出場して勝利したじゃないですか。で、校歌斉唱の時、スタンドのほぼ全員が一緒に歌ってたんです。その光景に、僕は感動して泣きそうになりました。

荒木 あの試合は、僕も甲子園で見ました。観客も4万人ぐらい入って、ものすごく盛り上がりましたよね。

三田 池田高校が”全国ブランド”になったのは、82年の夏、荒木さんを打ち倒して初優勝した時からだと思うんです。あの準々決勝で早実は14-2で敗れた。水野(雄二 元・巨人)さんにホームラン2本を打たれるなど「やまびこ打線」の猛攻にあって、荒木さんは7回を投げて10失点(自責点9)でした・・・

荒木 野球を始めて、あれだけ打たれたのは初めての経験でしたね。

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三田 池田は、荒木さんの「癖」を見破っていたという話を聞きましたけど・・・

荒木 僕も、そういう話をチラッと聞いたんで、それを朝日新聞社の記者に話したら、その方が取材してくれたんです。ある角度からは見えたらしいけど、バッターから見える癖じゃなかったようです。だから打席では関係なかったみたいですね。ただ、わかりやすい「癖」だったみたいで、プロに入ってすぐ、コーチに指摘されました。

三田 でも、蔦(監督)さんは、そういうことがすごくうまかったと聞きますよ。

荒木 元プロでしたからね。初めて高校野球に筋力トレーニングを入れたのも池田だし、バットもいろんなメーカーのを取り寄せて、一番反発力が高いモノを使っていたそうですから。

三田 勝利に対する執念を感じますね。でも、そんな池田と対戦が決まった時、早実ナインは「やったー」と喜んだそうですね。

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荒木 ああ、最近、毎日新聞で僕が連載していた高校野球のコラムを読まれたんですね?

三田 二回戦で池田が日大二高(西東京)に4-3で辛勝したのを見て、早実はなんかの試合で日大二高に楽勝しているから勝てると・・・

荒木 でも、あの時の抽選で、僕はキャプテンに「優勝したいから池田は引くな」っていったんですけどね(笑)。

三田 やっぱり池田は警戒していた?

荒木 バッティングとかパワフルでしたからね。本当、彼らは体が違いました。あの準々決勝は試合前に雨が降って、室内で練習したんです。僕らの後に池田が来て、出入り口ですれ違ったけど、みんなデカい。試合前に、もう圧倒されましたから(笑)。

三田 戦力の分析はしなかったんですか?

荒木 バッターの打球の方向と、あとはピッチャーが牽制するときのサインをビデオで探したりとか。当時は、そんなもんですよ。

三田 今とはずいぶん違いますね。

荒木 だけど、蔦さんは、やっぱり雰囲気がありました。ベンチで足組んで、「いけ、いけ」って手を振るんですけど、その仕草がマウンドから目に入るんです。

三田 声は聞こえるんですか。

荒木 それは聞こえないけど、あの仕草がすごく目に入るんですよ。胸の「池田」というロゴも大きくて・・・。いろんな監督を見たけど、あれほど印象的な監督は他にいなかったなあ。

三田 そういえば、今年、甲子園球場にある「甲子園歴史館」に初めて行ったんです。僕、初めて池田のユニフォームを生で見たけど、胸のロゴの緑は銀糸で縫っているんですね。あれは、カッコいいと思いました。

荒木 僕も今年初めて行きましたけど、蔦さんのユニフォームがあるんですよね。僕もそこで立ち止まって「わあ、これだ~」ってしばらく見ていました。あとはPL学園ですよ。アイボリーでちょっと袖の短い感じでね。このふたつは僕らの世代には別格の存在です。

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三田 近くにプロ野球ゾーンもあるけど、ほとんど素通り(笑)。高校野球こそ、100年やってきた「日本の文化」という感じですよね。ところで、先ほど、「優勝したいから」と仰いましたが、当時のクールな荒木さんのイメージからは想像し難いけど、やはり熱い思いがあったんですね。

荒木 すごくありましたよ。ただ、そのために何か準備したかというと、何もしなかった(笑)。早実は普段、2時間ぐらいしか練習しないし、特訓もない。これで勝っていいの?・・・って、みんなと話していたぐらいですから。

三田 へえ~。

荒木 頑張る事があまり格好良くないというか、楽しくやって勝てたら最高みたいな。

三田 そのへんは東京のチームという感じがする(笑)。やっぱり池田とは違いますね。

荒木 そうそう。3年の夏が終わった後、僕、日米親善高校野球の日本代表に選ばれたんです。驚いたのは、池田のメンバーって練習からメッシュのユニフォームを着ていたんですよ。当時は、そんなの着ているチームは少なかった。だから、記念に彼らからそのメッシュのユニフォームと、例の反発力の高い金属バットをもらいました(笑)。俺らもこれ使えば勝てたかもしれないな・・・って仲間と話しながら、後輩たちに譲ったのを覚えています。

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三田 いろんな意味で、やっぱり池田高が、高校野球の「新しい流れ」を作ったんですね。今日の話を聞いて、つくづく思いました。

※出典 株式会社小学館 『クロカン 宿命の決勝!対桐野編』

■三田紀房×荒木大輔 対談シリーズ
前編:人生は「運」で決まる!荒木大輔に学ぶ、幸運を掴む秘訣とは?

▼池田高校と同じくらい、いやそれ以上に別次元の野球をやっているのが「クロカン」だ!

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