【対談:三田紀房×荒木大輔(前編)】人生は「運」で決まる!荒木大輔に学ぶ、幸運を掴む秘訣とは?

1980年夏、早稲田実業高校の一年生投手が、4試合連続完封の離れ業を演じ、その端正なルックスから、文字通り”アイドル“に祭り上げられた。”大ちゃんフィーバー“という、おそらく高校野球史上最大の社会現象を巻き起こした球児…それが荒木大輔氏である。

三田紀房×荒木大輔 対談シリーズ「甲子園のアイドルの真実」

1980年夏、4試合連続完封の離れ業を演じ、その端正なルックスから、文字通りアイドルに祭り上げられ、大ちゃんフィーバーという、おそらく高校野球史上最大の社会現象を巻き起こした球児、荒木大輔氏と、『砂の栄冠』や『クロカン』など甲子園を題材とした漫画を手がけてきた三田紀房の対談シリーズ。

前編 人生は「運」で決まる!荒木大輔に学ぶ、幸運を掴む秘訣とは?
中編 82’ 早実vs.池田の歴史的試合を荒木氏が振り返る!
後編 未来ある高校球児のために大人たちが考えるべきことは・・・


  • 荒木大輔

    1964年5月6日生まれ、東京都出身。早稲田実業在籍時、一年生の夏の甲子園、決勝戦で横浜高校に敗れるまで、4試合連続完封勝利を上げ、一躍、甲子園のアイドルに。2年時、3年時も春夏連続で甲子園出場。82年秋、ドラフト1位指名を受けヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)に入団。1995年に横浜ベイスターズ(現・横浜DNAベイスターズ)へ移籍、翌1996年現役引退。西武ライオンズ、東京ヤクルトスワローズのコーチ業を経て、現在は野球解説者として活躍中。

三田  僕、荒木さんの高校時代、一度だけ試合を観に行っているんですよ。1980年秋の神宮大会、相手は秋田経法大付属でした。

荒木  ああ、何回戦かわからないけど、やりましたね。

三田 神宮第二球場が超満員で、荒木さんのピッチングを観て、やっぱスゲーなって思ったんですけど、実は大変失礼な話、 あの時は秋田経法大の松本(豊)投手の方が凄いと思ったんですよね(笑)。

荒木 松本さんはボールが速くて。当時の大洋ホエールズ (現・横浜DeNAベイスターズ)に入ったんですよね。

三田 でも、荒木さんのピッチングを観て驚いたのは、投球が全部、同じフォームなんです。長いこと高校野球を取材して思うけど、そんなピッチャーは高校生でそうはいないですよ。それが高校一年で、すでに体の記憶メカニズムがちゃんとできているというか…で、投げ終わると淡々とベンチに帰っていく。その姿を鮮明に覚えています。

荒木 ありがとうございます。

三田 この話、もうひとつおもしろいことがあって、僕の斜め前で身を乗り出して観ている人がいたんです。誰かと思ったら帝京高校の前田(三夫)監督ですよ。もう睨むような目で見てました(笑)

荒木 前田監督も、まだ若かったから(笑)

三田 1980年は、高校野球の歴史において、ある意味、ターニングポイント的な年でしたね。それまで太田幸司(三沢高 元近鉄)、島本講平(簑島高 元南海)、原辰徳(東海大相模 現巨人監督)と甲子園のアイドル伝説みたいなものが受け継がれてきて、荒木さんで完成されたと僕は思っているんです。好景気に沸く時代背景にピッタリあったスーパーアイドルでした。

あの年の甲子園は、一試合勝つごとにファンとマスコミが増えていったんです。僕は一回戦からずっと無失点で抑えて、それが準々決勝ぐらいで報道されると、ますます増えた。「何年ぶりの何とか」って。マスコミもそういうアオリ方が好きじゃないですか。そういう報道がどんどん出てきて、ますます騒ぎが大きくなった。(荒木)

三田 テレビも新聞も雑誌も〝大ちゃんフィーバー〞だったし、世のお母さん方も自分の息子に「大輔」と名前を付けたなんて話もあったほどでしたね。

荒木 おかげで宿舎では缶詰め状態でした。他の学校は遊園地に行ったり海岸へ行ったりして気分転換するけど、僕たちは一度、近所の海岸へ気分転換するけど、僕たちは一度、近所の海岸へ散歩に行ったくらいで、あとは宿舎で将棋やったり雑誌読んだり、ごろしたり…。僕はよく監督に呼ばれて、肩を揉まされながら「お前が悪いわけじゃないから遠慮することはないぞ」と話をしてもらいました。僕がいないところでは、仲間に、「かわいそうなのはあいつだから、なんとかしてやってくれ」と話していてくれていたらしいです。

三田 そうだったんですか。決勝戦で初めて失点して、愛甲(猛 元ロッテ)さんの 横浜高校に敗れたわけだけど、あの年に生まれた「大輔」が、18年後、今度は横浜高校のエースとして甲子園で見事優勝を果たした。これも不思議な巡り合わせですよね〜。

荒木 松坂大輔ですね。僕は彼に助けられたんですよ。

三田 というと?

荒木 あの頃、僕はアメリカでのコーチ留学から帰ってきたはいいけど、ほとんど仕事がない状態だったんです。そんな時に松坂が出てきてくれたおかげで、僕がもう一度クローズアップされて仕事が増えて(笑)。西武ライオンズでコーチをさせてもらったのも、松坂の話を聞くために伊東勤 (現・千葉ロッテマリーンズ監督)のところに通ったのが縁なんです。

三田 こんないい方したら失礼ですけど、荒木さんて、すごく「運」がいいですよね。(三田)

荒木 はい。それは自分でも思います。

三田 僕も長いこと高校野球を取材してきて、高校1年で活躍して騒がれた選手の8〜9割は、その後、調子を崩すか、野球部を辞めているんです。投げ過ぎだったり、精神的な問題だったり、原因はいろいろですけど。荒木さんは、あれだけ世間を騒がせたのに、高校3年間で5回のチャンスすべてに甲子園に出場して、しかも期待通りの活躍を見せた。それはやっぱり、バランス感覚が優れていたからでしょうね。

荒木 それは意識したことがないな〜。

三田 ぶっちゃけ、下級生が活躍するといじめられたりするじゃないですか。清原(和博)さんがPL学園の1年生だったころ、 レフトへ引っ張ると先輩から怒られたから右打ちを覚えたっていうぐらいですからね(笑)。そういう意味では荒木さんの場合、 学校やチームも良かったんでしょうね。

荒木 それはありますね。チームの中には、面白くないと思っている人も絶対いたはずなんです。だけど、いじめられたことがない。逆に、周りが守ってくれて…朝、登校する時も、僕が乗る電車に合わせて仲間が一緒に通ってくれたんです。学校から電車に乗って練習グラウンドへ移動する時も、常に誰かが一緒にいてくれた。僕から頼んだことは一度もないんですよ。それなのに野球部の仲間だけじゃなくて、普通のクラスメートも、みんなで僕をガードしてくれた。その時に、みんなといろんな話ができたのがいい思い出ですね。

三田 いい話だなあ。次回は、あの池田高校を始め、甲子園での印象深い試合について話を聞かせていただきたいと思います。

※出典 株式会社小学館 「BIG対談 第2弾『クロカン 夏の予選開幕!編』」

■三田紀房×荒木大輔 対談シリーズ
中編:82’ 早実vs.池田の歴史的試合を荒木氏が振り返る!「池田高校は別格だった」荒木氏が語る池田の強さとは!?

▼人は運によって大きくされる!人の人生も誰と出会うかによって大きく変わる。クロカンとの出会いによって変わる高校球児の成長物語をお楽しみください♪

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