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2017/01/16

プロデューサー・角田陽一郎の「世界史の特別授業」 2時間目「民族の話」 民族や文化はしょせん 「ミックス」されたもの

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道塾に1人の男がやってきた。
TBSテレビで『さんまのスーパーからくりTV』『EXILE魂』など数々の人気バラエティ番組を手がけてきたプロデューサー・角田陽一郎さんだ。
角田さんは道塾に着くなり、「歴史を学ぶことには、事実を次々に“発見”していく面白さがあります。その時代の人々がどう動くかというストーリー展開を知るのも楽しい。世界史は、最高のバラエティなんです」と語り出した。
「ぜひ、道塾の優秀な生徒たちに、面白い世界史の見方を教えてあげたい!」
角田さんによる特別授業の2時間目は、「民族の話」。歴史を知ることで、民族や文化の違いで差別する愚かさに気付くだろう。


プロデューサー・角田陽一郎の「世界史の特別授業」

1時間目・・・「商人の話」 実はイスラム教は、合理的で寛容的な宗教である。

2時間目・・・「民族の話」 民族や文化はしょせん 「ミックス」されたもの


☆角田さんプロフィール写真特別授業の講師・角田陽一郎さん

歴史から消えた匈奴がヨーロッパに現れた!

今回はヨーロッパが舞台ですが、まずは中国の話から始めましょう。

始皇帝が造った万里の長城、それは北からの野蛮な騎馬民族=「北狄」の侵入を防ぐためでしたが、この北狄の正体は何でしょうか? それは匈奴という民族です。紀元前3世紀頃から中国の北部にいた遊牧民で、彼らは中国の漢に度々侵入し漢民族を脅かします。

匈奴はやがて、漢の防御・融和政策で力が衰え、1世紀には内紛が起こり南北に分裂しました。南匈奴は中華圏に残りましたが、北匈奴は忽然と中華圏から消えたのでした。

北匈奴では、第1講で解説したような人類の移動が起きたのです。その場所が住みにくくなる(匈奴の場合は中華の圧力と内部分裂)と、他の場所に移動します。この傾向は、定住している農耕民よりもウマで移動できる遊牧民に顕著です。そして4世紀中頃、匈奴は中央アジアから黒海周辺、さらに東ヨーロッパにまで到達しました。

彼らはローマ帝国民からフン族と呼ばれました。匈奴を〝きょうど〟と読むのは現代の日本語読みですが、当時は「Hu-na」、「Hun-na」、「Hunni」などと発音していたと言われています。匈奴が西に移動しフン族として世界史に再登場したのです。フン族の痕跡は、現在のヨーロッパ各地に残っています。東欧のハンガリー民族「マジャール人」は実はアジア系で、国名のハンガリー(Hungary)はフンが語源という説があります。

民族の大移動はビリヤードのようなもの?

しかし黒海周辺から東ヨーロッパにフン族が侵入したとすると、もともとそこにいた民族はどうなったのでしょうか? 東から強力な遊牧民がやってきたので、彼らは玉突き状態のようにもっと西に移動せざるを得ませんでした。

彼らとは、そうゲルマン人! ゲルマン系の西ゴート族が375年に、ちょうど衰退してきたローマ帝国内に侵入します。軍事費がかさんだローマ帝国はますます衰退し、次々にゲルマン系の諸族(東ゴート、ヴァンダル、ランゴバルド、フランクなど)がローマ帝国内の西ヨーロッパ地域に移動し始めました。これが「ゲルマン民族の大移動」です。

そしてキリスト教を国教にしたテオドシウス帝の死後の395年、ローマ帝国は東西に分裂します。ゲルマン人が多数侵入したイタリア半島やイベリア半島など西欧地域を含む西ローマ帝国(首都はローマやミラノ)と、ドナウ川の国境でゲルマン人の侵入を比較的免れた東ローマ帝国(首都はコンスタンティノープル)とに分かれるのです。やがて476年に、ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって西ローマ帝国は滅ぼされます。

ちなみにその頃すでにゲルマン人はキリスト教でした。それは、ローマ帝国がキリスト教を国教に認める以前から、キリスト教はむしろゲルマン人たちに広まっていたのです。

逆に言えば、ゲルマン人が大移動して西ローマ帝国地域で拡散することにより、キリスト教も同時にヨーロッパ地域に拡散し、やがて影響力を無視できなくなって、国教に認めざるを得なくなったとも言えます。〝砂漠の宗教〟キリスト教が、森林地帯であるヨーロッパに根付いたのは、このキリスト教徒のゲルマン人が各地に拡散したからなのです。

ところで、ゲルマン人が西ヨーロッパに移動したということは、そこにもともと住んでいた民族はどうしたのでしょうか?

もともと住んでいたのはケルト人です。彼らも、玉突き的に移動せざるを得ませんでした。こうしてケルト人は、イングランドからアイルランドへとさらに西に移動したのです。

民族や文化でくくりすぎると危険な考え方を生み出すことも

ここで、大事なポイントが一つ。皆さんは民族の大移動と聞くと、「根こそぎ全員移動して、元いた場所には跡形も残っていない」と思われませんか? でも中には、いろいろな事情で残った者たちも多くいたのです。匈奴にも中華圏に残った者たちがいるように。なので、その場に移動してきたゲルマン人や残ったケルト人、そしてローマ人とともにミックスして同化して、現在のヨーロッパ人の祖先になったのです。

ミックスと言いましたが単刀直入に言えば、なんとなく近くに男女がいると、やがて恋をして性交して、子どもが生まれます。それが起こるのが人類なのです。そしてそれは、人類の大移動中に、それこそ世界の至る所で頻繁に起こったのでしょう。

ですので、民族ごとに厳密に分けて、この民族は「あーだこーだ」と決めつけたり、「我が日本人は……」などと声高に主張するというのは、かなり頭でっかちでナンセンスで短絡的な話です。僕たち日本人だってしょせんは、様々な人たちのミックスなのです。そして、その場その環境で、そこに住んでいる(ミックスした)人たちが、一緒に生活して、やがて固有の文化が誕生するのです。

むしろ、〝文化〟というのは、個々人が日々生活して、その生活の過程で生み出された様々なモノゴトの特徴を、あえて後世の研究者が拾い上げたら、「○○文化と言える共通の特徴を持った文化にくくってもよいな!」という代物にすぎないのです。

例えば、学校ができて、そこに入学して、勉強にスポーツに(恋に?)と学園生活をしているとやがて校風ができます。その生徒が卒業して、新たな生徒が入学してその校風を引き継いで、やがて何代も経過すると伝統になるということと同義です。歴史というのは結局のところ、個人個人の日々の生活の集積という感覚を忘れないことです!

ローマ教皇とゲルマン人はもちつ・もたれつの関係

ゲルマン系の諸部族は、4世紀以降ヨーロッパ各地で国を作ります。
その中でも、8世紀に特に力を持ったのがフランク王国です。ただ、その8世紀は、イスラム帝国の勢力拡大が起きていました。マグリブ(アフリカ北部)からイベリア半島まで進出し、ピレネー山脈を越えてフランク王国にまで迫っていたのです。フランク王国は、732年のトゥール・ポワティエ間の戦いで、イスラム帝国の侵略をなんとか押しとどめました。しかし、温暖な地中海はもはや「イスラムの海」になり、ローマが本拠地のキリスト教圏はアルプス以北の寒冷な中央ヨーロッパに移動せざるを得なくなります。

そこで、キリスト教カトリックのトップ・ローマ教皇は、800年にフランク王国のカール大帝(シャルルマーニュ)に、476年に滅んだ西ローマ帝国の「皇帝の冠」を与えます。西ローマ帝国の復活です。これにより、ローマ教皇とゲルマン人の希望が同時に叶います。ローマ教皇にとっては、ヨーロッパ北側地域でのカトリックの勢力拡大という念願が達成し、ゲルマン人にとっては、今まで散々野蛮人と軽蔑されてきた自分たちに、ローマ皇帝という正統性を与えてくれたのです。

こうして「宗教面の指導者=教皇」と「政治面の指導者=皇帝」から成る西ヨーロッパ世界の骨組みができました。イスラム世界のカリフとスルタンの関係と同様です。

フランスとイギリスが建国!
でも、ドイツとイタリアは誕生しなかった

カリスマだったカール大帝が死ぬと、ゲルマン民族の分割相続のしきたりにより、国は三分割されます。後のフランス、ドイツ、イタリアへとまとまる各文化の素地ができあがりました。そして962年に、ドイツ地域(東フランク王国)のオットー1世が、ローマ教皇から戴冠(国王が即位したとして、王冠を頭にのせること)を受け、神聖ローマ帝国の初代皇帝になりました。イタリアの都市・ローマの名称を冠していますが、この神聖ローマ帝国はドイツのことです。なんと1806年にナポレオンに滅ぼされるまで、ドイツの各諸侯が戴冠を繰り返しながら神聖ローマ帝国は800年以上続きます。フランス地域(西フランク)では、カペー朝が起こりフランス王国になります。

さらに、フランスの北岸、ドーバー海峡に面したノルマンディー地方にいたゲルマン系ノルマン人は、11世紀にイギリスに渡り、ゲルマン系のアングロ=サクソン人を征服してノルマン朝を開きます。イギリス王国の誕生です。

イタリアでは、統一した国家は起こらず、北部は神聖ローマ帝国、中部はローマ教皇領、南部は東ローマ帝国領に分割されていました。どの地域も「ローマ」の名を冠しているのが面白いですね。

その後、北イタリアではヴェネツィア、ミラノ、ジェノヴァ、フィレンツェなど各都市国家が建国したり滅亡したりを繰り返します。そんな状態が19世紀まで続きます。
ドイツという国もイタリアという国も、実は19世紀まで存在しなかったのです。僕たちが想像する以上に、国家の枠組みというのは実は曖昧なのではないでしょうか。

こんな風に、西ローマ帝国の崩壊後、数世紀をかけて現代のヨーロッパ各国の基礎が形作られます。この時代を中世と呼びます。

中世の時代、西欧キリスト教圏は世界史的に見て、決して文明が栄えた華やかな時代ではありませんでした。世界史の中心は、先講で述べた世界的商業ネットワークを完成させたイスラム帝国と、孤高の中華世界だったのです。

西欧キリスト教世界はイスラム帝国と対峙(たいじ)し、11世紀から13世紀にかけては十字軍を組織しエルサレムまで遠征して戦いを挑みますが、失敗を繰り返します。
しかしこの失敗は、後に多大な恩恵をもたらします。文明が栄えた先進地域のイスラム世界から、様々な先進文化が西欧世界に持ち帰られたのです。

そして、その当時は忘れ去られていたギリシャ・ローマ文明も、イスラム世界から西欧に渡り、再発見されることになります。それがやがて近代への道を開くのです。
これ、全部同じ人物です。

最後に、先ほどカール大帝をシャルルマーニュと書きましたが、カールはドイツ語読み、シャルルマーニュはフランス語読みです。ちなみに皆さんご存知かもしれませんが「チャールズとシャルルとカールとカルロス」「ピーターとペーターとペテロとピョートル」「ジョンとヨハネとジャンとヨハンとイワン」「マイケルとミカエルとミッチェル」「アレキサンダーとアレキセイとアレックス」「キャサリンとカザリンとエカテリーナとカタリナ」……等々あげればキリないですが、これらは全部同じ名前。各国語で違うだけです。

でも僕らは世界史で人名が出てくると現地読みを基本とするので、それぞれ違う名称と認識していることが多くありませんか?

コロンビアのサッカー選手ハメス・ロドリゲスは英語で言うとジェームスですし、元陸上選手のカール・ルイスとベルサイユ宮殿を作ったルイ14世は同じ名前なんです。
地名だって同様です。ブランド名に「アルマーニ」ってありますが、フランス語でドイツのことですし、英語だと「ジャーマニー」です。『宇宙戦艦ヤマト』に出てくる「イスカンダル」だって「アレキサンダー」のアラビア語読みなだけです。

世界史で名称が出てきた時、それが何を指し、何と同義なのかを気にかけるだけで、ちょっと楽しくなりますよ。お試しあれ!

■終わりに
角田さんによる、第2回目の歴史の授業もお楽しみ頂けただろうか?
今回の授業もワクワクして思わず読み進めてしまうような知的好奇心を刺激する内容だったはずだ!高校時代、世界史・日本史の授業が退屈でよく居眠りしていた読者の方も、少しずつ歴史に興味をもってもらえたら幸いだ。
今後も、道塾学園の「最強授業」で是非、大人の勉強を堪能して欲しい。

☆次回の授業も角田さんが先生となり、お話します!3時間目は3月中旬掲載予定です。

  • ☆角田さんプロフィール写真

    角田 陽一郎 (かくた よういちろう)

    1970年生まれ
    TBSテレビメディアビジネス局所属。東京大学卒業後、TBSに入社。
    プロデューサーとして「さんまのスーパーからくりTV」「中居正広の金曜日のスマたちへ」「EXILE魂」など、主にバラエティ番組の企画制作をしながら、映画『げんげ』監督などを務める。主な著書に『成功の神はネガティブな狩人に降臨する』など

■この授業は、角田さんの新著『「24のキーワード」でまるわかり!最速で身につく世界史』で全文が読めます!

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