こんにちは!『ドラゴン桜2』担当編集まほぴです。
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2月11日(月)より、編集者たらればさんによる連載「古典が好きになる話」がスタートしました!
いつも古典作品のことをTwitterで魅力的に語ってくださるたらればさん。
もしたらればさんが古文の先生だったら、もっと古文や古典を好きになっていたかもしれない……そんな想いから連載をオファーさせていただき、このたび実現に至りました。
この連載を読めばきっとあなたも古文が好きになる!
今回は特別に、連載第1回の原稿を公開いたします!
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『ドラゴン桜2』メールマガジン読者の皆さん、はじめまして。
わたくし、Twitterにて「@tarareba722」というアカウント名で日々ツイートしている、たられば、と申すものです。
出版社に勤務しているサラリーマンでして、普段はWebサイトの更新や紙の本の編集をしております。そのいっぽうで古典文学(特に平安朝の、いわゆる中古文学)が好きなこともあり、たまに「『枕草子』は政治的な敗者が語る文化的な祝福のものがたりだ」だとか「『源氏物語』の六条御息所は作中もっとも気高かったからこそ生霊になった」だとか、そんな話をあれこれと呟いています。
いやー、古典文学はたのしい。
で、そういうツイートを続けていると、「あぁー、たらればさんが高校の先生だったらもっと古文が好きになっていたかもしれない」だとか、「学生の頃にこういう話を知っていれば受験古文は楽だったのに」というリプライをいただくことが多々あります。
おお、なるほど。
「枕草子や源氏物語は好きだけど、古文の授業は退屈だった」という話は、とてもよく目にします。
■もしわたしが高校の国語教師だったら
これはですね、わたくし、国語科教員の皆さまに深く同情いたします。
来る日も来る日も、読めそうで読めない古語や文法の機械的な暗記訓練だったら、そりゃあ退屈でしょうよ。嫌いにもなるでしょう。
いっぽうTwitterでは、わたしは古典文学の「おいしいところどり」しかしていません。おもしろいところ、楽しそうなところ、自分が興味を持っているところばかり呟いています。そりゃあ、趣味だし。楽しみたいし、楽しんでほしいし。
受験を突破するためでも、研究の訓練のためでもありません。
そもそも「中学高校で習う古典文学」とは目的が大きく違うのです。
(あ、余談ですが、古典文学を学びなおすのに年齢や所属組織はまったく関係ないとおもっています。いくつになっても、何をしていても、興味を持ったら扉を叩いてみましょう。古典の勉強はコスパ最強の趣味であり、教養は誰にも奪うことのできない最高のお洒落だとおもいます)
だからたとえば、もしわたしが高校の国語教師だったら、そして受験を控えた優秀な高校生が目の前にいたら、(紫式部が清少納言について書いた猛烈な悪口の背景や、小野小町がどうして日本最高の美人と呼ばれることになったかの演出技法よりも先にまず)授業時間50分のうち35分は、文法と古語の効率的な暗記方法について話すだろうなとおもっています。
受験古文でもっとも大切な要素はなにか、と問われれば、わたしは迷うことなく「文法と古語の暗記ですね」、と答えるでしょう。毎年の受験問題を見れば、「その知識」を問われていることが明らかだからです。
語頭以外に「ハ行」があるときは、それぞれ現代語では「ワ・イ・ウ・エ・オ」と読む(「給(たま)ふ」→「たまう」、「恋(こひ)」→「こい」等)。
助動詞「す・さす・しむ」は「使役(〇〇させる等)」と「尊敬(〇〇なさる等)」という二種類の用法があってそれぞれ文脈で判断する。
敬語には「尊敬語」、「謙譲語」、「丁寧語」等の種類があり、「尊敬語」+「尊敬語」(「させ給ふ」等)と重なるのは、天皇、中宮(皇后)、皇太子など最高の地位にある相手だけに用いる。などなど。
■中学高校の古文の授業は「準備期間」である
なぜ古文教育は、まず文法と古語暗記なのか。
それは、現在の国語教育カリキュラムが高校課程を「古典研究の準備期間」として捉えているからです。
いずれ古典を本格的に研究する時が来るかもしれない。
人生の途上で古文を読みたくなる日が来るかもしれない。
その時のために、「読み方」や「文章の意味の調べかた」だけは覚えておきましょう、基礎訓練だけやっておきましょう、と。
中学高校における受験対策としての古語と文法の暗記は、そのための詰め込み教育なのです。
基礎の筋トレだけ延々とやっていたら、まあ退屈ですよね。
とはいえたとえば『枕草子』には、
「犬などもかかる心あるものなりけり、と笑わ【せ】給ふ」(三巻本、第六段)
という一文がありますが、この「せ」は尊敬の「せ」であり、「犬にだってこういう(けなげな)心をもっているんだなぁ…とお笑いになられた」という意味であり、尊敬の助動詞「せ」と尊敬語の「給ふ」が重なっているから、笑ったのが「帝」だとわかるのであって、これを「犬に笑わさせられた」という使役の意味に受け取ったら、そりゃ研究や読解には続かないわけです。
筋トレのように、「せ」は「す」の連用形で尊敬の意味、「給ふ」とくっつくので最高敬語、というところまではすぐに分かったほうが、その先の語感だとか文脈だとかに理解が進みやすいわけです。
だから中学高校での古文の勉強は、とても大事。それは間違いありません。
■机に向かう時間を増やすコツは、好きになること
さて、じゃあわたしはこのメルマガで何を書くのか。それは前述の「授業時間50分のうちの35分は文法と古語」の、残り15分でやろうとおもっていることです。
端的にいうと、「古典文学が好きになるような話」を書いてゆくつもりです。
好きになれば、机に向かう時間が増えます。文法も古語も覚えやすくなります。なにより、わたしがいつもTwitterで呟いているような話と近くなるはず。
『知ってるつもり 無知の科学』(スティーブン・スローマン&フィリップ・ファーンバック著/早川書房刊)という本に、あぁ、この本はとても面白いので皆さんぜひ読んだほうがいいとおもうのですが、ともあれこの本に、「人間が人生70年のあいだに一定の速度で学習を続けたとして、得られる情報量の合計はおよそ1ギガバイト程度」と書かれています(本書は、だからこそ人は、知識を外部化して、集団化、社会化、組織化することで科学を発展させてきた、という趣旨が書かれています)。
人生70年で1ギガ。少ないなー。もちろん実験上の誤差や個体差はあるでしょうが、これが10倍だって10分の1だって、たいした違いではありません。安いノートパソコン以下。
そもそも人間の記憶容量には限界があるわけですね。だったらその容量を効率よく使うために、効率よく収納し、効率よく出し入れできるよう工夫するしかない。
そしてその最も手軽な方法が「好きになること」だとおもうのです。
「好き」にまつわることであれば、効率よく覚えられるし、覚えていなくても理解できるかもしれない。理解できていればより解答に近づけるかもしれない。
本連載では、皆さまがいまよりほんの少しだけ、古典文学に興味がでるよう、机に向かって暗記を進めたくなるような話を綴っていければと思います。
(次回からは『小倉百人一首』の話がはじまります)
☆たらればさんのTwitterアカウント
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