財前:最初に家業に入ったときは、お父さんが社長だったわけですよね。中川社長が新しいことを次々となさって、反対されたりしませんでしたか。
中川社長:父は私の方針を黙って見守ってくれたので、親子間の確執はありませんでした。事業承継もスムーズでしたね。2人きりでゆっくり食事をしたのは、後にも先にも代替わりのとき1度だけ。2つ話があると言われて、1つ目は「すまん。中川家の財産を三分の一にした」。父は株が大好きで、バブル時に投資で失敗したのです。2つ目は「社長になったら、好きなようにしたらいい。ただ、1つ言うとしたら、(老舗であることに)とらわれるな。たまたま当社は麻事業が長く続いてきたけど、それすら変えてもいい」。
これにはびっくりしましたね。もともと私は親の言うことを聞くタイプでもないし、慣習にとらわれずにやってきたつもりでした。それでもなお「とらわれるな」というのが父からのメッセージだったのです。ビジネスモデルが30年で廃れると言われる中、当社が300年続いてきたのは、こういう自由な思想があるからかもしれないと実感しました。
財前:固定観念に縛られず、変化を恐れないからこそ、長く事業が続いた……。老舗って、もっと堅苦しい感じかと思っていました。
中川社長:全然そんなことないですよ。むしろゆるいです。もちろん、変えるのが全ていいということではなく、大事なのは「何を変えて、何を変えないか」という判断です。その軸となる会社としての価値観をしっかりと持っていなくてはいけません。
財前:「日本の工芸を元気にする!」というビジョンはどれくらい達成できましたか。
中川社長:まだまだ道半ばです。これまで15社以上の経営指導に携わり、個別の成果は上がっていますが、日本の伝統工芸が衰退するスピードがあまりにも速い。そこで、最近は「さんち構想」といって、一社の成功に頼らない方法を考えています。
財前:「さんち」って、普通の「産地」とどう違うのですか。
中川社長:例えば波佐見焼の場合、地域に窯元が50社くらいあり、当社が立て直しに協力したマルヒロはその中の1社です。その成功によって産地全体が活気づくかと思ったのですが、実際は、期待したほどの波及効果はありませんでした。そこで、窯元を支えている陶土屋・型屋・生地屋・窯元・商社といった周辺企業が一体となった最小単位を「さんち」と呼び、売り上げを伸ばすために協力していける仕組みをつくっているところです。