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2017/01/16

300年会社が続くのは 「変える勇気」があるから ~中川政七商店13代・中川淳社長インタビュー 財前が突撃!キーパーソンに聞く Vol.2

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財前が経済を動かすさまざまな人にインタビューし、疑問に答えてもらうこのコーナー。2回目は、奈良で300年続く伝統工芸を蘇らせた中川政七商店の中川淳社長が登場。老舗の実態や、「楽しく働きたければうまくなれ!」という仕事論を語ります。

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財前:中川社長は奈良で300年続く麻の老舗「中川政七商店」の13代社長です。41歳ととても若いですが、伝統工芸をベースにした新ブランドを次々と立ち上げ、売り上げを大きく伸ばしたと聞いています。大学を卒業後、富士通での勤務を経て、家業に戻られたときの印象はどうでしたか。

中川社長:老舗としての歴史があるといっても、実際は地方の中小企業。父親から「今までいた大企業とは全然違うぞ」と言われて覚悟していましたが、予想以上に大変でした。まず、私が任された麻の生活雑貨部門は赤字で、生産や販売の管理もかなり雑な状態でした。

「とりあえず当たり前のことから始めよう」と呼び掛けても、従業員は定時になったら仕事が残っているのに帰ってしまうほどやる気がなく、1年くらいでほとんどの人が辞めていきました。しかも、会社の知名度が低かったので募集しても人が来ない。残ってくれたわずかな従業員と一緒に3年くらい頑張って、業務の基本的な流れを整えていきました。

財前:家業に入ってすぐに大変な思いをされましたね。

中川社長:実際のところ、地方の中小企業はどこも似たような状況で、人材不足に悩んでいます。やる気のある優秀な人材を集めるには、会社のブランド力を上げなければいけない。そういう思いもあって、業界では珍しいSPA(製造小売)業態を確立し、自分たちでお店を持って麻製品の良さを直接お客さまに伝えるようにしました。「美しい暮らし」をテーマにした「粋更kisara」などの新ブランドを立ち上げ、東京ミッドタウンなど発信力のある商業施設のテナントに入ることで、徐々に一般の人からの知名度を上げることができました。

☆写真2(中川政七商店東京本店外観)

財前:ブランド作りに成功し、本業を立て直してほっとしたのではないですか。

中川社長:人手が足りず苦労しながらも、麻事業を黒字化できて確かにほっとしました。でも、そこから新しい悩みが始まったのです。うちの会社は老舗なのに、社是がありませんでした。本業で利益が出る「ふつうの会社」にはなったけど、「中川政七商店らしさ」って何だろう。ただ売り上げを伸ばすだけでなく、自分も含め、従業員みんなが向かっていけて、かつ社外の人から見てもいいと思える共通の目標を持てないだろうか。

そう思って有名企業の社是を集めた本を読んでみたのですが、「子供たちに明るい未来を」みたいな漠然としたものが多くて、あまりヒントを得られませんでした。それっていわば「世界平和のために頑張ろう」と言われるようなもので(笑)、自分たちだけでは背負いきれない目標ですよね。

例えば高校球児だったら、「甲子園優勝」という夢に向かって団結するじゃないですか。そういうふうにみんなが共感して目標にできる社是を作りたいけど、事業とうまくマッチさせるとなると、簡単には思いつかない。具体的でかつ夢があって、全く無理というわけでもない。そんな社是ができないかと、2~3年悶々と考え続けました。

☆写真3(目標イメージカット)

Photo by TANAKA Juuyoh(CC BY 2.0)

財前:そうやって悩み抜いて、いま御社が掲げている「日本の工芸を元気にする!」というビジョンができたのですね。

中川社長:これで会社の方向性がつかめた!と思って、意気揚々と従業員に発表したのですが、最初はみんなポカーンとしていました(笑)。中川政七商店で成功したブランディングの手法を全国の伝統工芸に広めて、その流通を当社の店舗でもお手伝いする。日本の伝統工芸全体を底上げしながら、自社の存在価値も高めていくという好循環を思い描いていたのですが、従業員にとっては、なぜ他の会社のお手伝いをする必要があるのか、いまいちイメージがつかめなかったみたいですね。

財前:どうやってビジョンを浸透させていったのですか。

中川社長:実際にやってみせるしかなかったです。最初に経営を指導したのは、長崎県の波佐見にある「マルヒロ」という焼きものの会社でした。そのとき、二十代の若い後継者が打ち明けてくれた「いつか波佐見に映画館を作りたい」という夢を聞いて、「それなら単なる焼きものブランドではなく、波佐見を背負って立つカルチャーブランドを目指そう!」と、焼きものにファッション性を持ち込んだ「HASAMI」という新ブランドを一緒に立ち上げました。「HASAMI」は見事にヒットし、今では東京のショップでも多数扱われ、雑誌に紹介されたりして売り上げを伸ばしています。

☆写真4(HASAMIプロジェクト商品の写真)

中川社長:マルヒロの若い後継者に、成功ストーリーを体験談として会社で語ってもらったりもしました。そうするうちに、従業員にも「自分たちの仕事の先に何があるのか」が徐々に見えてきたようです。中川政七商店ががんばれば、全国の伝統工芸が元気になる。社是が浸透するのに5年くらいかかりましたが、ビジョンがみんなの腑に落ちてからは急速に社内の雰囲気が良くなりました。私自身も、「やるべきこと」と「しなくていいこと」がはっきりして、経営判断がしやすくなりました。業界をけん引しているということで話題にもなり、今では人材募集をすると、地方の中小企業とは思えない優秀な人からの応募がたくさん来ます。

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