財前:家業を継ぐって、すごく大変なことだなあ。「絶対につぶせない」という責任の重さは、僕にはちょっと想像できないレベルです。麻生社長が持っている強い使命感は、子供のころから後継者として育てられた、いわゆる帝王学によって身に付いたんですか。
麻生社長:帝王学とまでは言えませんが、育った環境はやはり大きいですね。五歳まで住んでいた飯塚の家には、お手伝いさんや庭師さん、門番さんの方たち三十人くらいが麻生家のために働いていました。私にとっては皆家族のような存在でしたが、父の事業が失敗したら彼らが路頭に迷うということも子供ながらに感じていました。
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麻生社長:また、幼稚舎から慶応義塾に通うと、親が経営者という同級生がたくさんいます。バブル崩壊後に家業がうまくいかなくなり、それをきっかけに家族や親せきの仲が悪くなったという同級生の話を結構聞いて、他人ごとではないと強く思いました。あとは小学生のころ庭で遊んでいて、母親から「あなたは広い家に住んでいると思っているけど、事業が傾いたらこんなもの全部なくなるのよ」と言われたのは強烈に覚えていますね。母親から恐怖心を植え付けられた影響も大きい(笑)。
財前:サラリーマン経営者とは、覚悟が違うって感じがします。
麻生社長:個人としての欲やら私情よりも、まず会社がある。これは経営者としての強みといっていいかもしれません。私は、会社の部下とは個人的な付き合いはほぼありません。ランチを一緒に行くのは、人事の伝達など何かしらの理由があるときです。私が会社に入ったとき、お歳暮を贈ってくれる社員が結構いたのですが、手を付けず、今では誰も私にものを贈って来ません。
財前:わ、かっこいい!
麻生社長:そういうことをしても意味がないと、贈ってくださる方だけでなく、周囲の人にも態度で示して分かってもらうことが大切なのです。人事に私情が入っていると周囲に思われるのは、いいことではありません。私が決断した人事が公平だと社員に思ってもらうために、個人的な付き合いをしないようにしているのです。会社自体は、フラットな組織でアットホームな雰囲気が社風としてずっとあります。
財前:医療分野を中心に順調に売り上げを伸ばして来ましたが、これからのビジネスをどうお考えですか。
麻生社長:医療のマーケットは今後もしばらく広がりますが、団塊世代がピークアウトした後は限界があります。ですから海外への投資を増やし、将来に備えています。社員の英語教育にも力を入れていて、希望すれば無料で授業が受けられるようにしました。この教育は地域にも広げていて、飯塚に住んでいる小学校3年生から中学校3年生を対象に無料で英語の授業を受けられ、選抜式で海外にも留学できる制度を作りました。
財前:なぜそこまで英語教育にこだわるのですか。
麻生社長:私は、日本が今後、財政面や経済力で地盤沈下していくのは避けられないと思っています。そのとき、従業員が医療分野で磨いてきた技術が、日本語でしか通用しないというのはまじめに働いてきた社員にはリスクです。せめて英語が話せれば、「じゃあ、香港の人を診る」といえるわけですね。うちのグループから出て、活躍することもあり得る。そういうチャンスを、従業員をはじめ地域の子供たちに残しておきたい。
明治時代、多くの人々が職を求めて南米や西海岸に渡りました。私はその人たちを尊敬しています。今の日本は国際的に見て平均以上の生活ができるし、ポテンシャルもあるのにグチを言う人が多くて、そこまで真剣に生きていない。食い詰めて海外に出て行った先人たちのように、ガッツを持って挑戦していく人をこの筑豊から輩出したい。そういった環境を作り、チャンスを生み出していくことに、経営者としての義務とやりがいを感じています。
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あそう・いわお
1974年生まれ。慶應義塾大学経済学部を首席で卒業後、日本長期信用銀行に入行。退職後、ケンブリッジ大学への留学を経て2000年に家業である麻生セメント(現・株式会社麻生)監査役に就任。翌年から取締役となり、医療事業開発部長、新規事業開発部長、不動産事業本部長、グループ経営委員などを経て2010年に社長就任。ドワンゴ取締役を兼務している