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3月23日に発売された『インベスターZ』12巻には、九州を代表する名門企業・麻生グループの麻生巌社長が登場する。メディアにあまり登場しないので知らない人もいるかもしれないが、麻生グループは筑豊有数の石炭王であった麻生家が創業。以来、石炭産業が斜陽になったときにいち早くセメント事業を成長させ、時代の変化を乗り切った企業である。現在、グループを率いる1974年生まれの若きリーダー・麻生社長も、自分の代で病院経営や教育など、新しいビジネスを成功に導いている(麻生社長の記事がコチラからお読み頂けます)。今回は麻生グループを例に、時代の変化を乗り切って企業が生き残るポイントをマンガから学ぼう。

日本の超大手・名門企業の経営危機が続き、連日ニュースをにぎわせている。ブランド力がある大企業であっても、経営者が時代の趨勢を読んで正しい手を打たないと、あっという間に没落してしまうのだから、恐ろしい。 『インベスターZ』12巻では、時代の変わり目に正しく対応し、乗り切った企業の経営者が登場する。九州を代表する企業・麻生グループの若きリーダー、麻生巌社長だ。

☆マンガ1

◆麻生グループから学ぶ<企業が生き残るポイント>
1.常に危機感を持ち、将来のビジネスの種を用意しておく
2.事業規模を適正に保つ
3.財産だけでなく人脈も相続する
麻生社長は、麻生太郎副総理の甥っ子で、曽祖父は戦後日本の礎を築いた総理大臣である故吉田茂氏。
超名門の麻生家は華やかな雰囲気かと思いきや、家訓は「程度大切、油断大敵」というとても地味なものだ。

☆マンガ2

「程度大切」とは、身の程をわきまえること。自社の現状と将来を客観的に分析して把握し、身の丈にあった規模で事業を充実させていく。「油断大敵」はご存知の通り、うまくいっているときも決して油断しないという戒めだ。華やかさとは程遠い家訓から、かつて家業であった石炭産業が斜陽になったとき以来の「強い危機感」が伝わってくる。麻生グループの歴史を伝える『麻生百年史』には、石炭産業が斜陽となり、事業が立ちいかなくなってきたときに二代目の麻生太賀吉(当時の社長)がどう対応したかが細かく記されている。

麻生グループ 麻生百年史はコチラ

☆写真1

太賀吉は、全国で悪夢のような炭鉱閉山が続くなか、自社の将来を考えてセメント事業を分社化し、次代を担うビジネスとして育てていく。同時に日本石炭協会会長の要職に就き、「お家の事情」を尊重するあまり対策を後回しにし、共倒れになりかねない石炭業界に「再建の見込みのないヤマの閉山」という一石を投じてウミを出し、少しでも傷痕を少なく窮状を乗り切るべく尽力した。

太賀吉が次代を託したセメント事業は、創業者の麻生太吉が1922年に福岡県田川郡にある良質の石灰石に目を付けたことにさかのぼる。太吉は炭鉱を事業化しながらも、「いつかは炭層が尽きるときがくる」と考え、当時としては破格の200ヘクタールもの石灰石の山を所有していた。

このセメント事業が、すべての炭鉱が閉山した後の麻生の存続を助け、従業員を救うことになる。最後の鉱山が閉山する1969年に先立つこと、なんと45年以上も前である。

優れた経営者は常に先を読み、早すぎるくらいに早く、手を打っておく。 マンガの中にも出てくるが、トヨタ自動車やブラザー工業、富士フイルムといった日本の大手企業の多くが、時代の波にさらされながら変化を続け、生き残ってきた。

☆マンガ3(1)☆マンガ3(2)

麻生グループも、麻生社長が自分の代になって早々に新しい事業に着手し、病院経営や教育といった収益の柱となる成長分野を育ててきた。まだ40代前半という若さで、時代の変化を読み、着実に実績を上げている麻生社長。これから先、20年後、30年後に麻生グループがどういう進化を遂げているのか。麻生社長の経営手腕に大いに注目していきたい。

 

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