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特別インタビュー・名経営者に聞く

【中編はこちらから】

組織に頼って生きる時代は終わった

 もし私がいま20歳だったら、どんな進路を選ぶだろうか。さまざまな可能性があるが、1つの選択肢として考えられるのは、「すぐに就職しない」ことだ。

 かつて1990年代にインターネットが登場し、情報の拡散スピードが飛躍的に高まった。ビジネスにおけるコストが減少し、イノベーションのサイクルが短くなるなど、インターネットの「第1の波」が社会を再定義した。そして2015年からの12年間では、「第2の波」がやって来る。インターネットがモバイルに移行し、個々人の手によってネットワーク化される。人工知能の開発や、グローバル化の進展とも相まって、さらに社会は様変わりするだろう。既存の枠組みの中で、スピードやコストが変化した「第1の波」に対し、「第2の波」では企業の形、企業と個人の関わり方、働き方など、あらゆる面で現存のシステムが覆される。

 これまでの「常識」が通用しなくなるのだから、「大学を卒業したら就職する」という概念だって、一度取り払ったほうがいい。そもそも、日本社会は急激な人口減少という現象にもさらされている。労働者としての若者の価値は当分上がる一方だから、焦る必要はない。 変化の真っただ中にあるときに将来の方向性を決めると、自分の可能性を狭める結果になりかねない。むしろじっくり腰を据えて、世界の動きを観察することだ。

 ビッグウェーブが来る前に小さな波に乗る必要はない。

 押し寄せる波をじっくり見て、一番大きいやつに乗るべきだ。

 そもそも、日本人は早く就職し過ぎると思う。大学を卒業して、そのまま会社に入って一生をその中で過ごすなんて、あまりにつまらない。まっさらな大学生を採用して自分たちが使いやすいように教育するという企業の考え方ももう古い。

 日本人は戦争中には国家に命を捧げ、戦後の高度成長期には企業に人生を託した。しかしいま、何かに自分を捧げる時代は終わった。これからは自分のために、自分の能力を頼りに生きる「個の時代がやって来る。

 個の時代には、自分がやりたいこと、得意なことをできる「場」をいかにみつけていくかが重要になる。円の中心にあなた独自の能力があり、それが求心力を持って周辺にさまざまな企業や人を呼びこみ、つながっていくイメージだ。

 私の知り合いに、エーザイの上席執行役員で医学博士の鈴木蘭美さんという女性がいる。彼女はガンの完治と認知症の予防をライフワークにしていて、経営陣として活躍しながらも、会社の中で自分のライフワークである研究を続けている。個人の能力を高めて、それを会社に売り、かつ会社からリターンを得るという働き方は、まさに次世代の働き方のロールモデルだと思う。

 こうした働き方を実践するには、自分の能力を客観的に知ってプロデュースできなければいけない。だからなおのこと、20代前半のうちは海外で人と交わったり、いろんなジャンルのことに挑戦したりして自分の能力を試し、かつ引き上げていく経験が必要だ。そうやって物事を見る眼を鍛えてから企業を選んでも遅くない。むしろ何も知らずに企業に身をゆだねことのほうが、リスクが大きいだろう。

 私はソニーに入ったばかりのころ、「3年おきに部門の所属変えを申し出る」というルールを自分で決めて、実行していた。1つの部門に3年もいると、チームにも仕事に慣れて居心地が良くなってくる。それをあえて断ちきって新しい現場でまた一から学び直し、仕事を覚えていく。楽なことではなかったが、会社の中でできる仕事を増やし、自分の価値を高める道を選んだのだ。振り返ってみると、当時から私は「会社のため」というよりは「自分自身の能力を高めるため」の働き方を、無意識のうちに選びとっていたのかもしれない。

 個の時代が来るといっても、全ての企業が衰退するわけではない。いくつかのグローバル大企業は生き残り、寡占的に富を得ていくだろう。しかしそれはほんの一部であって、競争力を失った大企業や中堅・中小企業は、専門領域を持つ個人と協力関係を築きながら共存していくことになる。

いま20歳だったら何をするか――3つの選択肢

 すぐに就職をしないで、何をするか。時代を見るセンスを問われる質問だね。少し考えただけでも、わくわくするようなアイデアがいくつも浮かんでくる。

 例えば米国に行って、「アクセル・パートナーズ」や「セコイヤ・キャピタル」のようなベンチャーキャピタルが、今どの企業に投資しているのかを知るというのはどうだろう。これらのベンチャーキャピタルは、我慢強くリスクマネーを持ち続け、これまでアップルやオラクルといった数々の伝説的企業の成長に一役買ってきた。きっと今も、時代の最先端をいくユニークな研究をしているベンチャーに目を付けているはずだ。

 米国に行くなら、大学でどんな研究が行われているかも見てくるべきだ。米国はインターネット発祥の場所。現在のITの基礎をつくった開発者の弟子たちがちょうど育ってきていて、そろそろ次のイノベーションを起こす時期だと私は見ている。例えば医療における病院や薬のシステム、教育などの現場で、インパクトある変化を起こしそうな最先端の技術を探しに行く。同時に開発者の熱気に触れることができれば、間違いなくあなたの将来のためになる。

 2011年に地球上の人口は70億人を突破した。国連によると、2050年までに90億人を突破するという。けん引するのは、中近東と中南米、そしてアフリカの人口爆発だ。これらの地域は、若者が多く社会に活気が満ちている反面、資源や食糧が不足するなど課題も山積している。そういう地域の課題解決につながる技術を日本から移植すれば、現地で大きな価値を生むだろう。

 しかも、新興国での技術革新のスピードは年々早まっていて、先進国が実現した技術を半分、三分の一の時間で成し遂げることも考えられる。現地のニーズを把握し、日本企業が持つ最先端の技術と結びつけるような仕組みを構築するなど、意義もやりがいも大きな仕事がいくらでもありそうだ。

 もちろん、国内でできることもある。最近は「地域創生」が盛んに言われているけど、むしろ私は「東京という都市のポテンシャル」に注目している。最も海外から人とお金を集められる場所。それはやはり、東京だと思うのだ。地域が頑張ることはもちろん大切だ。しかし、日本の大黒柱がしっかりしていてこその地域創生だろう。

 そこで気になるのが、東京の街は清潔で治安もいいが、何か物足りないということだ。例えば花が多いニューヨークのように目を楽しませるが要素が少ないし、映画や劇場といったエンタテイメントの力も足りない。それらの要素をふんだんに取り入れ、電力の自給、エネルギーの最適化を図るスマートビルディングといったエコロジーの技術、人々が学びを得られる教育の要素も入れて、シンガポール以上に人を集められる魅力的な都市にする。いっそのこと東京湾に新しい街を1つ作るくらいの大投資をすれば、海外から人が集まり、日本経済に大いに貢献するはずだ。これは大掛かりな話だが、もっと身近なことでいい。東京や地方を通じて、日本を良くするためのアイデアを考えてみてはどうだろう。

 最先端の動きを見に米国に行くか。

 人口爆発の国で汗してニーズに応えるか。

 日本そのものを良くするか。

 私が今20歳だったら、こういう発想で自分の居場所を選択する。

逆境だらけの仕事人生で得たこと

 人生には「プランB」が必要だと思っている。いま、あなたが進もうとしている将来の道が「プランA」だとしたら、もう1つのプランを具体的に用意しておくということだ。特にこれからは、いい大学に入って大企業に入れば一生安泰なんて考えないほうがいい。大企業が衰退していく時代に、老後まで会社が面倒を見てくれるなど、甘い幻想でしかなくなる。

 私の孫娘はバレエが大好きで、将来は宝塚歌劇団に入りたいと真剣に考えている。そのアイデアを聞いたとき、私は「宝塚の女優になれる確率」と、「女優になれたとして、平均的に何年間食べていけるのか」をまず調べなさいと言った。そのうえで、「人生は長いんだから、もう1つのプランを出しなさい」とも。彼女は素直に聞いて、いまは「プランB」を何のビジネスにするか、話し合っている。

 人は自分の将来を甘く見積もりがちだ。いま働いている企業、いま就いている仕事が10年、20年先に変わらずにあるかどうか、疑ってみることをなぜしないのか。いざ、仕事がなくなったときに「プランB」がないと、途方に暮れるだけで何もできない。私は孫娘にそんな思いをさせたくないので、あらかじめ戦略を立てるよう促している。これだけ長寿社会になり、老後の時間が長くなると、もしかしたらプランCまで必要かもしれない。

 1つの人生設計に盲目的にしがみつくな。

 時間軸を長く捉え、想像してみよう。

 あなたにはいくつもの可能性がある。

 インターネットの普及によって人々は膨大な情報にアクセスできるようになり、かつ移動手段も多様になった。どこに行って何をするか、昔よりはるかに多くの選択肢がある。辺境の地であっても、行けないところはほとんどない。選択肢が多いことは素晴らしいが、可能性が多くなったゆえに迷いも生じやすい。だからこそ、「仮説を立てる能力を磨く必要がある。

 プランBを持っておくというのも、仮説を立てる力のなせる業だ。行動する前に立ち止まり、情報を集めて仮説を立て、検証する。最初は難しいかもしれないが、このプロセスを繰り返していれば自然とできるようになっていく。

 あとは、高くジャンプする勇気を持てるかどうか。

 最後に少しだけ、私の若いころの話をさせていただこう。

 私はソニーで順調に出世を続けて社長になったわけではない。むしろ逆境だらけの会社員人生だったと思う。

 最初の逆境は、30歳を目前にして当時の役員と派手にぶつかったこと。当時、私が営業を担当していたオーディオ技術を海外の企業に売り渡すと役員が言うので、「そんなことしたら、ソニーが半身不随になる」と反論したんだ。私は、オーディオ技術はまだまだ会社に必要だと思っていたから、その気持ちを率直に伝えた。しかし生意気だと叱られたうえに、クビにするとまで言われてね。人事部長に事情を分かってもらえてクビにはならなかったが、パリに飛ばされることになった。

 半沢直樹のドラマでおなじみの「左遷」というわけだが、そのおかげで現地の合弁のベンチャー立ち上げに関わる機会に恵まれ、さらに日本とも、留学で知っていた英語圏の国々とも異なる文化に触れることができた。言語だけではなく、例えば法律に表れているその国のスピリットだとか、生活様式から見えてくる文化というものが、地域によっていかに違うかをビビッドに理解できた。現在、私はレノボグループや百度 (Baidu) といった海外の企業の取締役も務めているが、そのときの体験が国際的な仕事に生きていると思う。

 その後も、倉庫に左遷されたこともあった。しかし、そのときにロジスティックスの管理に使っていたコンピュータと出合い、ここで学んだことを生かしてコンパクトディスクの1号機を作ることができた。そうやってデジタル事業の経験を積んだことで、文系出身の人間には珍しく技術部門のトップを命じられた。これはチャンスである一方、門外漢の責務を負うという意味では逆境の1つだった。非常に苦労をしたが、ここで鍛えられたことで、経営者となる土台ができたのだと思う。

 私は、逆境を乗り越える度に貴重な財産を得てきた。語学力と国際感覚、ビジネスの立ち上げ方、技術の知識、マネジメントの手法。それらは与えられたのではなく、自分の手でつかんだものだと自信を持って言える。順風満帆な会社員生活では得られなかったことばかりだ。しかも、左遷だ、逆境だといっても、組織のために正しいと思ったことをはっきりと言ったがために起きたことだ。時には身を挺してでも、馬鹿だと言われても、自分の信念を守るために本気で戦う覚悟が必要だと思う。しょっちゅうそんなことをしていたら、本当に身を滅ぼしてしまうけどね(笑)。

 なぜそんなにタフなのか? これはもともとの性格なんだろう。面白い話がある。

 私は7歳のころ、満州で終戦を迎えた。戦勝国であるロシアからどんどん人が入って来る状況を、大人たちは不安げに眺めていた。そんな中、私は1人、ロシア語を勉強し始めた。周囲から「この子は変わっている」と言われたけど、気にしなかった。逆境であれ何であれ、置かれた状況で何とかするしかない。恐怖に脅えるばかりで何もしない大人たちへの反発心もあった。

 自分が置かれた状況を客観的に知り、適応すること。私が子供時代に直感した生き方が、これから12年間、とてつもない変化の時代にますます重要になるだろう。できるなら私も若者に戻って、激動の時代を生きてみたい。しかしいま、私にできるのは、これまで得てきた経験と知見の全てをあなたたちに伝えることだけだ。

 変化の時代を恐れることはない。勇気を持って進めば必ず多くを得られるし、チャンスは誰にでも平等にある。私は変化の行方をどこまで見届けられるか分からないが、あなたたちに明るい未来が広がっていることを信じている。

 1人でも多くの若者が、未来という大海原への航海を悠々と成し遂げること――。それが私の願いだ。

   

  • いでい・のぶゆき

    1937年生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、1960年ソニー入社。オーディオ、コンピューター、ホームビデオ事業の責任者を経て、1989年取締役、1994年常務。 1995年社長兼COOに就任後、会長兼グループCEOなどを歴任。ソニー会長兼グループCEOを退任後、クオンタムリープ株式会社を設立。産業の活性化や新産業・新ビジネス創出を実現するための活動をグローバルに展開している。他にレノボグループ、百度 (Baidu) 、マネックス、フリービットで社外取締役などを務める

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