クリエイターは「凄い」人たちではない。ただ「やった」人間だ!【vol.5 三田流マンガ論】

あなたはマンガ家という職業にどんなイメージを抱いているだろうか? 夢がある。アシスタントと一緒に朝まで徹夜する。編集者が遅れた原稿を取り立てに来る――。確かに、それがふつうのマンガ家像だ。しかし、三田紀房は正反対の持論をしばしば展開する。「徹夜はしない。でも締め切りは守る」「マンガ家になったのはお金のため」「アイデアを得る努力をしない」。びっくりするかもしれないが、理由を聞けばきっと納得し、あなたの仕事や勉強にも役立つ話だと気が付くだろう。さっそく、三田流マンガ論をお聞かせしよう。


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【マンガ論 Vol.5】クリエイターは「凄い」人たちではない。ただ「やった」人間だ!

・マンガを描くきっかけは「お金」
・マンガ家は誰でもなれる
・結局、「やったやつ」がエライ


私は30歳で初めてマンガを描いた。
全くの素人で、マンガ家になりたかったわけではなく、はっきり言ってしまえばマンガが好きなわけですらなかった。子どものころに自腹でマンガ誌を買った記憶もない。
大学では政治経済を学び、卒業後は西武百貨店に入社してごくふつうのサラリーマン生活を送っていた。
そんな男がなぜマンガ家になったのか。

最大の理由は、お金である。
サラリーマン時代に父が体調を崩し、兄と一緒に地元の岩手に戻って家業の衣料品店を手伝うことになった。ちょうどバブル経済が始まるころで、郊外型ショッピングモールが全国に出店を始め、地方の駅前商店街の活気を奪っていく時代でもあった。

多くの例に漏れず、個人商店の経営は大変で、父の死後は残された莫大な借金の返済に追われた。次第に銀行への金利分の支払いすら滞るようになった。現金がなくて商品の仕入れができず、せっかくお客さんが来てくれても売るものがない。言い訳をしてごまかさなければいけないこともあり、それが何よりもつらかった。利幅の取れる商品を増やすなど、いろいろと策を講じてみたが焼け石に水で、抜本的な解決にはならなかった。

商売人にとって、商売がうまくいかないというのは人生そのものが台無しになったも同然である。
追いつめられた状態で苦しむ状態が5~6年続いただろうか。
家業にはもう将来がないと思い、別の可能性を探り始めた。

衣料品店のように他人が作ったものを仕入れて売って、その中から経費を引いてようやく利益が出る商売はもうやりたくない。仕入れにお金をかけるよりも、1人でものを作って売るほうがはるかに効率的だ。何かそういう商売がないものだろうか――。

そう考えていたとき、たまたま目にしたマンガ誌で新人賞募集の広告を見つけた。大賞の賞金は100万円。必要な道具は紙とペンだけ。これなら自分が生産者になれて、しかも初期投資はほとんど要らない。掲載されている受賞作品を見ると、手が届かないようなレベルの出来ではない。「これなら自分でも描けるんじゃないか」と思い、とにかく見よう見まねで描いてみることにした。

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幸運だったのは、義姉が『JIN―仁―』などで有名な村上もとか先生の奥様と親友だったこと。最初に描いた作品を村上先生に見ていただいたところ、「いいね」と可能性を認めてもらえたのである。
こうして30歳で初めての作品を新人賞に応募し、講談社主催の「ちばてつや賞」の一般部門に入選。あっけないほど簡単な、マンガ家人生のスタートである。

この話をすると、たいていの人は「よく30歳でマンガを描こうと思いましたね」「素人がいきなり描けると思いましたか」と言う。あまりに同じ反応が返ってきて、むしろこっちのほうが疑問に思う。

世間の人たちは、なぜマンガ家、いやクリエイターが“敷居の高い職業”だと思い込んでいるのだろう?

確かに、クリエイターの中には本物の天才が存在する。映画界でいうジョージ・ルーカスや黒沢明のような人たちはまぎれもない天才で、彼らが生み出す作品は素晴らしい。凡人には手が届かないレベルだ。しかしそれはごく一部で、業界の裾野を支えているのは、そのほか大勢の「ふつうの人」もしくは「それ以下の人」たちである。

考えてもみてほしい。本屋に行けば、びっくりするほど稚拙なマンガや小説が平気で棚に並んでいる。テレビドラマや映画だって、見ていられないくらい下らないものがいくらでもある。それに対して、皆さんはよく「つまらない」と文句を言っているではないか。それはつまり、「自分でもこのくらいのレベルのものを作れる」ということだ。実際、クリエイターは特別な人種ではなく、なろうと思えば誰でもなれる。

思うに、「何かを始めるには練習が必要」と考える人たちが多過ぎるのではないか。
例えば、マンガを描くためには絵やストーリーの作り方を教えてもらって訓練する必要があると思い、学校に通う。そこで過去に一冊本を出したくらいの講師にもっともらしいことを言われて挫折する。または、練習自体が重荷となり、マンガを描く前に諦めてしまう。これでは野球をしたいと言ってルールブックを眺めているようなもので、いつまでたっても上達しない。

四の五の言わず、ペンを手に取ればいいのだ。
いくら練習を重ねても、マンガを描かないことには世間は何の評価もしないし、そこには一銭の価値も生まれない。

人が作ったものに文句を言うことができるなら、自分でやってみればいい。
世の中、「やったやつ」がエライのである。

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■三田流漫画論シリーズ

【vol.1 三田流マンガ論】成功するには、あえて「空席」を狙え!
【vol.2 三田流マンガ論】どうせやるならトップを目指せ!
【vol.3 三田流マンガ論】ベタな表現を恐れるな!
【vol.4 三田流マンガ論】徹夜は一切しない!
【Vol.5 三田流マンガ論】クリエイターは「凄い」人たちではない!ただ「やった」人間だ!←イマココ!
【vol.6 三田流マンガ論】私は、締め切りを絶対に破らない!
【vol.7 三田流マンガ論】ストーリーとは、「対立」とその「解決」である
【Vol.8 三田流マンガ論】アイデアは考え出すものじゃない
【Vol.9 三田流マンガ論】マンガを描き続けることが最優先。些末なこだわりは持たない
【Vol.10 三田流マンガ論】いい仕事したけりゃ、自己管理しろ!


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